CT SCUDERIA HISTORY

【Enrico Margaritelli(エンリコ マルガリテッリ)】



エンリコ マルガリテッリは時計産業の盛んなイタリア パルマに生まれました。
彼の祖父は第一次・二次世界大戦時にその高い技術力で陸軍の精密な時計機器を創り出す時計職人でした。

エンリコ自身もフィリップ スタルクやジョルジオ アルマーニと共に仕事をすることで時計産業に対する知識を深めていきます。
またDIESELの創始者エンツォ ロッソやバーバリーのCEOローズ マリー ブラボーと時計を共同制作した経歴も持っています。

一方で、プロのバイクレーサーという経歴ももつエンリコはレース仕様にカスタムしたバイクでの公道レース行うカフェレーサーたちの向う見ずで個人主義な「カフェレーサースタイル」に惹かれていました。

質実剛健でアグレッシブなカフェレーサースタイルは彼の創るCTスクーデリアというブランドの中で完璧に体現されています。




【Cafe Racer(カフェレーサー)】


1950年代中頃、イギリスのロンドン。
当時のロンドンで唯一24時間営業をしていた「ACE CAFE LONDON(エースカフェ ロンドン)」には毎晩のようにライダースジャケットを着込んだ若者達たちが集まっていました。
自らカスタムしたバイクを自慢し合う彼らはいつしかCafé Racer(カフェレーサー)と呼ばれるようになります。


ジュークボックスにコインを入れ、曲が始まると同時にスタートするジュークボックスレース。
カフェ前のノースサーキュラーロードは彼らの恰好のレースコースとなり、多くの見物客を集めます。

しかし、公道を使用した危険なレースで命を落とす若者も少なくありませんでした。
男性なら年齢を問わずスーツを着るのが当然だった当時のイギリスでは彼らのスタイルや危険な行為は反社会的であり、国会でも話し合われるくらいの社会問題となっていました。

60年代初め、ファーザー・ビルという男がこのエースカフェに訪れます。
彼は英国教会の神父を務める聖職者でバイクマニアでもありました。

神父服の上からレザージャケットを羽織り、愛車のトライアンフ スピードツインに跨る風変わりな神父はすぐに若者たちとも打ち解けていきます。

彼は社会問題にまでなってしまっている若者たちにバイクを通しての教育・更生を考えるとともに、
若いバイカーたちにとっての健全な環境を整えようとしていました。

1959年、彼はバイカーたちの為のユースクラブ 59CLUB(フィフティーナイン クラブ)を設立します。

毎週土曜日の晩はクラブミーティングの日として教会を解放し、バンドのライブやダンスパーティ、時にはメンバーの結婚式も行われました。

ツーリング前に礼拝に参加する若者たちが新聞記事で取り上げられるなど、彼の活動は徐々に世に知られることとなり、59CLUBの名はロンドンにとどまらずイギリス中に知れ渡り、イギリス最大規模のモーターサイクルクラブへと成長します。

当時の若者たちにとって、59CLUBに入会することで手に入る「59」と描かれたワッペンを自らのレザージャケットに縫い付けることがステータスとなっていました。

時代の移り変わりと共に、舞台の中心となったACE CAFE LONDONも1969年に閉店を迎えます。

しかし ACE CAFEを愛する元騎馬警察官であるマーク・ウィルスモアにより2001年に復活。
現在もカフェレーサーのメッカとして多くの人が足を運んでいます。

そして彼らの「より格好良く・より速く・より個性的に」を念頭に置いたカスタムスタイルは、今現在でも「カフェレーサー」というひとつのジャンルとして確立されています。




代表的なカフェレーサーとしてTRIUMPH(トライアンフ)のエンジンをNORTON(ノートン)のフェザーベッド フレームに搭載したTRITON(トライトン)が挙げられる。
トライトンとはトライアンフ+ノートンの意味で、各メーカーの優れたパーツを組み合わせることで既存にはない高性能なマシンが生み出されていった。